仮想私事の原理式

この世はワタクシゴトのからみ合い



 高校受験が済んでしまったので、バイト先の塾に来る生徒の数もめっきり減った。いや、土曜はもともと少ないんだけど。
 また夏ごろになると焦りだした受験生が入ってきて増えてくる。と、いいなぁと思う。
 
 少子化のせいなのか、近所に他の塾が出来たせいなのか、はたまた一部友人が言うように僕の存在のせいなのか、ウチの塾はここ2〜3年、生徒不足気味なようである。うちの塾、そんなに悪くないと思うのだが。あえて短所を言うなら、フレンドリーすぎるところか。生徒に、だらけが生じやすい。
 もっとも月謝が結構高いようだから、僕だったら行かない。もともと僕が小中時代に塾関連に一切行かなかったのは、その月謝が高かったからである(自分で払うわけでもないのに)。そんなに塾に払うくらいなら、小遣いに回して欲しいと切に願った。それに塾と言うと、結局は学校と同じように黒板の前で講師が解説をしながら進めていくというイメージだったので、
 「学校と同じスタイルなら、学校で解らなかったものが塾で解るようになるとは思えない」
という理屈から、塾を無意味だと思っていた。

 今となれば、一対多型塾の効用というのもそれなりに解る。まず、あの「勉強をする場」という雰囲気。多分、これが一番の効用だと思う。1人でもちゃんと勉強できる小中学生に対しては、塾の有用性はかなり下がる。と思う(学校だって勉強をする場ではあるのだが)。大きい塾なら、学習進度ごとのクラス分けもある。一種のエリート教育のような感じであるが、ある一定のレベルを保って進められるので雰囲気という意味でも効果的であるのは確か。あとは、やはり教える技術も違うのだろう。ちょい昔に「学校教師に塾講師の教える技術を学ばせる」という話を聞いたことがあるけど、どれほど実施されているものなのだろうか。公立でもやってるのかな。

 ここからは私見だが、僕のバイト先はマンツーマン形式の塾なので、そういう意味では昔の僕のイメージとは異なり、それなりに意味があるんじゃないかと思っている。個別対応というのは、やはり柔軟性が高い。反面、効率は悪く、給料も普通の塾と比べれば低いわけだが。また1対多の場合よりも生徒と講師の相性問題が大きくでる。金取る側が相性云々するのは少々マズイ気もするが、あるもんはあるんだから仕方ない。


 1対1を突き詰めていけば、家庭で親が教えてあげるのが一番良いのかねぇ…。でも、自分は親に勉強を教わった記憶は無いんだが(基礎能力育成の部分では、親の教育(?)には感謝してる)。たまに学力低下の理由として「両親の共働きで、親が子に勉強を教える時間が無くなった」という内容を聞いたりするけど、本当にそうなのかな? その辺はそれぞれの家庭環境によるんじゃないかな。それに昔の親達がそんなに家庭学習に協力的(毎日、親が子に勉強を教える時間が存在する等)だったのだろうか? 一部の良いトコのご家庭育ちだったオッサンが、のたまっているだけなんじゃないかという気がする。

 もうね、共働きしなければやってけない状況なら少子化も仕方ないよ。成るべくして成ってるんだって。むしろ、このまま増やしていくことになんの意味があるのかと。若者の年金負担が大きくなる? じゃあシステムを変えなさいよ。もともと有限しかない日本、有限しかない地球で単調増加を当てにしているシステムがずっとうまくいくと思っている人って、バカなんじゃないかと思う。多分「今は増加傾向だからやっちゃおう。将来のことはヤバくなった時の連中に投げちゃえ」とか思ってたんだろうね。単調増加を維持するには、とりあえずスペースコロニーを作るのが先決だが、これだって先延ばし案だけどね。宇宙世紀が始まるのは、個人的には大歓迎だが。


 何の話かよく解らなくなってきたが、塾がある世の中ってなんか歪んでるんじゃないかなぁとか思いながらも、将来ああいう小さい個別対応塾とかやるのも良いなぁと、思ってたりもする。
 め組の大吾みたいだな。消防士の仕事みたい。


違うか。