仮想私事の原理式

この世はワタクシゴトのからみ合い

自分の宗教観

 今日も一日、うだうだと過ごした。とりあえず、自分の作業は全く進まず。というか、手も付けず。なかなか、変わり映えの無い日々である。

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 唐突ではあるが、自分の宗教観について。

自分はこれといった宗教の信者ではない。強いて言えば不可知論者か? 神様については、自分なりの神イメージを持っていて(中学時に確立)、自然崇拝とかが元にっている。
 自然崇拝は、自然現象とか山とか森とか海とかを「神」とするわけだけど、自然というのは結局のところ、生き物とその繋がりのことじゃないかと。では生き物にとって、一番重要であり、神秘なことは何だ? それは「生きていること」だろう。生き物を生き物たらしめている、生命エネルギーとでもいうべき力こそ神様なんだろう、とそう思っている。

 中学くらいのときに般若心経関連の本を読んだが、これは結構、共感できる部分が多かった。なんというか宗教とか言うよりかは、もっと哲学的・論理的な印象を受けた。内容も納得できる部分が多かった(的外れな納得かも知れんけど)。自分の考え方にも少々影響を与えていると思う。だから般若心経は暗誦できるが、仏教徒ではない(むしろ今の仏教とか寺に対して若干、懐疑的になってしまった)。

 別に、宗教の存在に対して、嫌悪とかそういうの感情は無い(と思う)。その宗教の教えとかを押し付けられるは論外だけど。人間だれしもが、拠り所となる観念・捉え方を持っている。今まで生きてきた中で、疑わずに受け入れてきた何らかの基準。何かの宗教の信者は、その基準が宗教となっただけだろうと思っている。そういえば、養老猛氏の本に「鯨も信仰を持っている」とかあったな。面白いと思った。

 たまに、宗教に対して「思考停止だ、思考放棄だ」と言う人もいるけど(自分もそう思ってしまう場面に遭遇したりもするけど)、そういう人だって、大元には基準となる部分を持っていて、そのバイアスというか基本設定の部分に関しては「思考停止」している。それが無ければ、生きてくことも困難だろう。


「この世は『思い込み』から出来ている」


……とかいう感じ話を先輩と少しだけした。一夫多妻制の話から、随分飛んだなぁ…。いや、もともとは……何の話だったっけ? 女性監禁してた奴の話からだったっけか? 先輩と話をするといつも、こんな感じに話が飛ぶ。面白いから良いんだけど。