仮想私事の原理式

この世はワタクシゴトのからみ合い

大人のでしゃばり

「父に墓石を」9歳に寄付殺到、“ガレージセールで資金調達”に大反響。
http://www.narinari.com/Nd/20101014321.html

 いい話だ。その心意気は凄い。9歳(小学3年生)のときの自分なんて、思い出すだけでミジメで涙が出るというのに。
 ただ、


そうして迎えた9月25日の当日、キングストンモントリオール通りに開いたブレイクくんの店には多くの客が訪れた。しかも、やってきた客は物を買わずに「20カナダドル札(約1,600円)や50カナダドル札(約4,000円)を男の子に手渡す」(カナダ紙キングストン・ウィグスタンダードより)人がほとんどだったという。
 ガレッジセールで買うのではなく、ただお金を少年にあげたというのは、いかがなものかと、ちょっと思う。子供のためにならないんじゃないかな、と。少年の行為を正当に認めて評価するには、子供がしようとしていることに応える形でサポートする方がいいんじゃなかろうか。 高値で買ってあげるとか。 この子は、物乞いをしてるんじゃないんだよ?
 この結果を子供はどう受け止めているんだろうか。目的の墓石を手に入れられたのは喜ばしいことだと思うし、欲しかったiPodも貰えて単純に喜んでいてくれればいいけど。なんだか知らないうちに周りから色んなものが届いて、流れにながされて困惑しないだろうか。もしくは「同情引いて、うまく宣伝すれば、善意が集まる」なんていう黒い理解をしたりしないだろうか。いや、それはそれで、立派なマーケティングなのかもしれないけど。
 
 ただ金をあげるんじゃ、子供の夏休みの宿題を父ちゃんがでしゃばって一人でやって、自己満に浸ってるようなもんじゃないか?  やる気になってる子供は、ポカーンになったりしないか?
 それから、サイン入りCDやらホッケースティックを送ったのは、どういう意味? タイアップ? セールで売って金に変えろってことなら、納得するけど。
 
 子供の行為はいいと思うが、対応に少々納得いかなさを感じたので。なんか、金持ってる大人のマスター○ーションが目立ってる気がして、イラっとした。そう、大人気ないんじゃないかと。もっとカッコヨクやれよ、と。


 まー、たくさん来たらしいから、オモチャ売り切れたんかもしれないけど。