仮想私事の原理式

この世はワタクシゴトのからみ合い

決して凄いわけではない今敏監督の遺書

 正直、今敏という名前は覚えていなかったけど、作品は好きだった。「あ、あれを作った人が亡くなったのか」とショックを受けた次第。
 「パーフェクト・ブルー」を観たときは衝撃的だった。気持ち悪いけど面白い。
 「パプリカ」を観たとき、混沌と不気味さと絵柄が物語に凄く合っていて、これをこの人がやったのは正解だと思った。
 「人狼」にも関わってるのね。納得。
 「千年女優」は頭の「観るリスト」に入れてたけど、まだ観てなかった。
 職場の昼休みに「遺書」を読んで、不覚にも涙を抑えられなかった。

さようなら - KON'S TONE -

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一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。
映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。
何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。
もちろん、作画監督美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。
スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。
けれど少しは理解もしてやって欲しい。
だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。
かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。
丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、
「大丈夫。なんとでもするから心配ない」
とのこと。
泣けた。
もう号泣。
これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。
今回も同じだ。私も進歩がない。
丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。
才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。
何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。
確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。
それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。
今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
さようなら - KON'S TONE -
 「遺書」というより、最期のブログという感じで、最期の日々と感謝が綴られている。多数に見られることを前提に書いた、最期の作品。きっとカッコ良く終わりたかったんだろうなと想像する。
 制作中の作品は、師匠に託すことができて安堵し号泣したことが書かれている。本心ではあるだろうけど、同時に悔しいんじゃなかろうか。自分に当てはめて想像してみたけど、まだ何とも思い至らない。 それはまだ僕に「思い残す」に値するものがないからかもしれない。

このエントリを「凄い」と評する向きもあるようだけど、僕はそうは思わない。死に直面し、死を受け入れようとした人間として、真っ当な(悪く言えば想定内の)心境が書かれている。一人の人間の、理想的とも言える、満たされた普通の終わり方。


だから。だからこそ、共感する。だからこそ、悲しい。だからこそ、悲しいながらも笑える。今敏は早く亡くなってしまったけど、幸せだったんだと思える。


そんな、遺書だった。