「いい人」と「人がいい」
大学生をやって2年目くらいのころ、女の友人にこう言われた。
「○○(僕)って、『いい人』じゃないけど、『人はいい』よね」
……。
なんだろう、この気分。全然、褒められてている気がしない。いや、多分これは褒めてない。
これを聞いたときは「何を言っとるんだ、こいつは」とか思ってしまったわけだが。今ひとつ、ニュアンスの違いが解らなかったのだ。
しかし、今ならよく解る。今思い返すに、かなり的を射た評価だ。B型のワガママな女だったが、するどい人物眼を持っていたんだなぁ…。いや、確かに奴の評価は、自分勝手だったけど、それゆえに本質を捉えていたりするのだった。
……鋭くなくても解るか…。
少なくとも自分は「いい人」とは評価されないだろうなと思うし、「いい人」になろうと思ったことも、あまりない。少なくとも僕だったら、僕を見て「いい人」とは思わない。それほど周囲のことを思って生きてない。
「いい人」と言われれば、悪い気はしないと思うけど、多分そういう人は、あくまで結果的にそうなっているのであって、狙ってなるようなもんでもないだろう。
そういうや昔、「いいひと」っていうマンガがあったなぁ。読んでないけど。
「いい人」談義はまぁ置いておいて。
バイト先で最近、「人のいいアンパンマン」と言われる。「周りに顔をあげすぎて自滅するアンパンマン」とか言われる。
「アンパンマン」の部分は、心外ではあるものの、その意味するところは理解できる。
しかし、なんでまた「人のいい」という枕がつくだろうか。そんなに「人のいい」オーラでも出てるんだろうか? 顔のあげすぎで自滅するほど、GIVEをする気はさらさら無いんだが。あんまりその辺は、ばれていないらしい。
元来、GIVEよりもTAKEが多い人間である。
時々、反省してます。
そういえば先日の大学の友人との集まりで、マルチ商法の話が出たときも、
「お前、マルチに気をつけろよ」「一番ひっかかりそう」と全員から言われた。
……ここまで来ると、「人がいい」というより「抜けてる」と思われているんじゃなかろうか?
どうも、そんな気がしてきた。
いや、まぁ、遺憾ながら、実際問題として抜けてるわけですが。