アンパンマン論考 その1(その2があるかは不明)
最近、弟のPC占有率にますます拍車がかかり、なかなか更新の出来ない日々です。
まぁ、夜中の1、2時まで待てば使えるわけですが、待つのもかったるい。待ってるうちに更新する気力も減退。
書こうかなと思った内容を頭の中で組み立てては消し、組み立てては消し。
「思いたったが吉日」といいますが、まさにその通り。思い立ったときにやらないと、大抵、面倒になる。
いわゆる熱力学第2法則さね。エントロピー増大の法則でもいいです。
わからない人は「世の中、低きに流れるのね」と達観してくれればOKです。多分。
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最近、アンパンマンについて考えることがある。
そもそもアンパンマンは、ジャムおじさんがアンパンを作っているときに、煙突に流れ星(命の星?)が大量に入り込んできて
アンパンに命が宿ってが誕生したらしい(…深く考えると意味深な描写になりそうなので、深く考えないことにする。深いぜアンパンマン)
アンパンマンについていつも疑問に思うのは「アンパンマンの自我って、どこにあんの?」ということ。
実はこれは結構難しい問題ではないかと思う。
人間の場合、もっとも一般的なのは、「脳に自分という存在が宿る」という考え方だろう(攻殻機動隊的に言えば、脳にゴーストが宿ってる)。ところがアンパンマンの場合、自らの頭部をちぎって、他人に分け与えてしまうのである。ましてや一日に一回は肝心の頭部を交換しているわけである。そもそもアンパンマンの頭部には脳があるのか? つーか、アンパンマンに脳はあるのか?
そこで注目されるべきは、頭部以外、すわなち首から下の「体」である。アンパンマンの顔がいくら変わろうとも、体は変わらない。記憶の連続性という観点から考えても、体に記憶が蓄積されているとする方が納得がいく(もちろん、これだけで体に自我が宿ると考えるのは乱暴であるが)。というか、アンパンマンの体は実際のところ、頭部のアンパンに接続されていない状態が確実に存在するわけで、それを考えるとグロテスクですらある。
では、アンパンマンにとって、その名の由来でもある頭部のアンパンとは、一体なんなのか?
まず思いつくのは、栄養源としての機能である。パン、そして中にはつぶあんという炭水化物のかたまり。燃料タンクとしての役割は十二分に果たしている。
ここでまた疑問が生じる。アンパンマンの弱点は主として、「顔が汚れる、ゆがむ、ぬれる、かびる、欠けるなどすると力が出なくなる」というものであるわけだが、「顔がかびる・欠ける」などは栄養源としての機能に障害を起こすような思えるものの、「汚れる・ゆがむ」などは、何の影響があるのだろうか? 少なくとも栄養源としての役割は十分に果たせそうである。
しかし、上記の要因を見て、思いつくものがある。汚れ、ゆがみ、欠損により機能的に障害が生じるもの。そう、アンパンマンの頭部とは、
「アンテナ」である。
考えてもみれば、アンパンマンの生みの親のジャムおじさんは、「アンパンマン号」という、犬(チーズ)ですら操縦可能でありながら、地中走行および多彩な攻撃が可能かつ内部でパンまで焼けてしまうという超絶高機能マシーンを作り出してしまう御人である。しかも普段はパンまで作っている。万能なお人だ。現代のダ・ヴィンチといっても過言ではない。
「アンパンマン」というロボットを作りだし、操縦することなど、彼にとっては朝飯前、否、朝パン前なのである。
顔のゆがみ・汚れ・欠損は、アンパンマンの操作を著しく不安定なものにしてしまうため、機敏な応答が出来なくなるのだ。顔が濡れることは、回路のショートを引き起こす恐れがあるためだろう。「カビる」はアンテナが「さびる」ことの婉曲表現に違いない。
そう考えると、さらに見えてくるものがある。オープニング曲で歌われる
…愛と勇気『だけ』が友だちである。他のみんなは友だちではない。守るべき存在、主人達なのである。
♪愛と勇気だけが、ともだちさぁー♪
「みんなの夢を守りなさい」と命令されているわけである。凄まじい献身的精神である。さらには顔まであげちゃうのだ。そんじょそこらの人には出来ないと思っていたが、そのために生まれてきた奴隷的存在だったのだ。
♪ゆけ、みんなの夢、まーもるたーめー♪
ここまで来ると、アンパンマンを悲哀なしに見ることなぞ、僕には、とても出来そうにない。。
そこ、憐れみの目でこちらを見ないように。