仮想私事の原理式

この世はワタクシゴトのからみ合い

「この勉強は何の役に立つか」と聞かれた

 最近、読みたい本が結構あるのだが、金が無くて買えない。忘れないように、タイトルをメモっていたら、
20冊くらいになっていた。全部買ったら……2万超えるなぁ…
 金がたまるスピードより、読みたい本がたまるスピードの方が早い。

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 自分は個別指導塾でアルバイトをしている。塾講師や教師をやっている人は、多分一度は聞かれると思う。「これ、何の役に立つの?」と。

 大抵の場合、苦手な教科に対して、やりたくないがために言っているのだろうと思うのだが(好きな教科に対しては、役に立つことなど求めていない)。つまり、こういう問いが出るということは、その生徒がその教科を「つまらない」と思っている証であって、教える側としては敗北(?)なんだろうなぁ。生徒にその教科の面白さを伝えられて無いんだから。

 …まぁ、塾には大抵、その教科が既に嫌いな状態で入ってくるので、この問いを投げかけられたからと言って、一概に自分のせいとは言えない…はずである。

 それはさておき、この問いをされた時、自分はいつも「役に立つかどうかは、使う側次第だ」と答える。
 「〜なところで役に立つ」
 「脳は筋肉と同じで、鍛えないと使い物にならなくなる」
 「この学問を学ぶことで、こういう思考力が身に付く」
とかいう回答をすることもあるけど、基本的には「使う側次第」。
 たとえばサッカーや野球は、今の僕にとって何の役にも立たないものだけど、プロサッカー選手やプロ野球選手にとっては役に立っている。僕がもしプロサッカー選手になれていれば、サッカーは生活に欠かせないものになっていただろう。音楽の授業も役に立ってはいないが、ミュージシャン等の音楽関係者にとっては役に立っている。

 ただ、使うためには、まず持っていなくてはならない。だから、若くて覚えが良くて余裕のあるうちに学ばせる。そんな風に答えてる。
 もちろん、独学で学んだ人も多くいるだろうし、そういう人たちの中には「学校でワザワザやらなくたって問題ない。やりたい奴は勝手にやる」と思っている人もいるかもしれない。でも、本当にそうだろうか。例えば僕は楽器が全くできないが、小さい頃にピアノ等の楽器を演奏するということを習っていたり興味を持っていたりすれば、今頃はピアノの一つも弾けたかもしれない。そういう機会を得られなかったのは、ある種の不運とも言えるかもしれない。そういった不運を極力減らすことが、教育の目的の一つであるはずだ。


※本当は、森博嗣氏の小説内で犀川先生が言ってた
「何で役に立たなければいけないの?」
という質問返し回答が好きで、言ってみたいんだけど、
その後の展開に対処できる自信がないので未使用。


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