仮想私事の原理式

この世はワタクシゴトのからみ合い

教師に必要な資質とは



 教師の採用試験の申し込みをしてきた。しかし、正直なところ、迷っている。試験をすっぽかすかもなぁと、申し込みをした直後に思ってたりする。結局はポーズでお茶を濁してるだけなのかもしれん。

 なにかの本で読んだ内容だが、教師になるのに必要な資質は、以下のものらしい。


1:元気
2:教える内容への強い憧れ
3:教育欲

 
 知識欲や知的好奇心は持っているほうだと思う。教育欲と言って良いのかわからないけど、教育や人の成長というのも、以前から気にしてきたことだ。というか、2・3が無ければ、あまり教師になりたいとは思わないんじゃないかと思う(昔の「デモシカ教師」を考えれば、そうでもないのかな?)

 しかし自分には「元気」が足りないと思う。「面倒くさい」とかよく言う奴は、基本的に元気が無い奴だ。他人からうっとうしがられるくらいじゃないと、人を引っ張っていくなんてことは、なかなかできないだろう。以前は自分にもそこそこの元気や勢いはあると思ってたが、本当に元気がある人は、自分の想像以上に元気だ。よく動くし、よく話すし、よく人に関わる。多分、こういう人じゃないと勤まらないじゃなかろうかと思う。
 
 ただ、この「元気」という条件に、どうも引っかかりを感じる。
 この「元気」という条件。提示している採用側も、受ける側も、「熱血」とか「明るさ」とか、そういった内容を求めているようなんだが。「教師」という、生徒にとっての「大人のあり方」のサンプルである人々が、そんな画一的な観点から選ばれて良いのだろうか?
 以前に「対治と同治」の話を書いたことがあったけど、「元気」というのは僕には「対治」を想像させる。そこには「同治」の観点・感性が無いのだ。 熱く生徒達を引っ張っていく存在は必要かもしれないが(ドラマも作りやすいし)、もっと静かな元気があったっていいんじゃないかと思う。
 教師にはいろんな人種がいて良い、というか、いるべきだ。生徒という人間を相手にする以上、気苦労もあるだろうし、そういうものに負けない「精神的なタフさ」というのであれば理解できるが、「元気」なんていう性質を求めているのは、上の委員会とか頭が固くなった管理職等ではないだろうか。「元気があって上の言うこと良く聞いて、生徒を統率できるリーダーシップを取れる奴がほしい。そんでもって、生徒をうまく(自分の言うとおりに)コントロールしてほしい」なんて思惑すら感じてしまうのだが、邪推しすぎか。

まぁ、言い訳がましいこと(言い訳だけど)を言ったけど、自分の教師とか教育に対する納得というのが、まだ出来ていないというのも、迷う理由の一つだ。



 最近、身近な人(複数)から、「アンタは公務員に向いてる」と言われる。どういう意味?

 以前は知りもしないで随分と毛嫌いした職種なので、なんというか「向いている」と言われると、微妙な気分だ。少なくとも、褒められてるようには思えない(公務員を蔑むわけではないし、実際、公務員も考えているけど)。自分にも、少しは野心的な部分があると思っていたんだが。周囲には、あまり映らないらしい。

所詮は鶏の勘違いか?

良くないとは思いつつも「ままならねぇなぁ」とよく言ってしまう今日この頃。


 むぅ、もっと楽しいことを書かねば…。なんというか迷惑大放出だよなぁ。バイトの後輩が顔を見て「欝ですか?」と聞いてくる始末。そして「デフォルトです」と答える始末。

ムキー

#P.S.
夜、犬の散歩をしていて、あまりにも気候が気持ちよかったので、周りに誰もいないのを確認してから、ひとりで高笑いしてしまった。3回ほど。
危ないかもしれない。