仮想私事の原理式

この世はワタクシゴトのからみ合い

ヘレン・ベアトリクス・ポター


もやしもん9巻。
 毎度おもしろいわ、勉強になるわで重宝しとります。前回の岐阜旅行で、大正堂兼松書店を見つけるキッカケになった紅茶の話も掲載。紅茶は中→英の船旅中に緑茶が発酵して紅茶になった、わけではないらしい。今までずーっと、その説信じてたよ(ここで紹介された説が正しいという保障も確認してはいないんだけど)。それにしても前回の岐阜旅行って…随分前だな
 それはさておき。 今回は長谷川さんとムトーの話に、なんだか泣けてしまった。特にヘレン・ベアトリクス・ポターの件。中学生に英語丸暗記させてる場合と違いますよピーター
 

「あたしは自分が身につけたことを一ミリも無駄にしたくないんですよ」

「あたしは多分こんな性格なので 社会に出ると日和っちゃうしあきらめちゃいそうで」  ムトーの言葉は、まんま自分のことのように思える。大学時代の自分はそうだったし、今もあまり変わっていないかもしんない。就職活動になかなか乗り出せなかった心理的原因の一つは間違いなくコレだ。そして案の定、日和っている僕がいる。

 「現状に日和って、それなりに満足」という性質は、個人的には「とりあえず大抵のことには興味がもてるし、理解もできる」という、ある種の取柄というか利点というか、生きやすさだとも思う。でも昔からこういう器用貧乏(というほど器用でもないが)なとこを恐れてもいて、僕みたいな意志力の弱い人間にこういう性質はよろしくないよなぁと常々思っていた。そして案の定、今現在になんとなく収まっている自分がいる。

学んだことは無駄にならない

 小さい頃から小動物や植物に興味を持って育ったヘレン・ベアトリクス(ビアトリクス?)・ポター。植物と最近の共生関係についての論文を書いたが、学会では「女性だから」という理由で認められなかった。でもポターは「ピーターラビット」の絵本を書き、その中でコケやら植物やらがびっしりの森を描いた。
 長谷川さんの
「ポターは自らが学んだ事を絵本の世界で生かしたのよね」
「学んだ事が社会で無駄になんて 決してならないのよ」
という言葉に、わがことのように慰められた。
 「学んだことは無駄にならない」というよりは、「無駄にしないことができる」という方が近いとも思うし、ポターのは「生かした」というより「小さい頃から好きで離れられなかった」ようにも思えるけど、やっぱりちょっと救われたように思えて、ちょっとジワッときた。

 正直、やりたいことを学んできたというわけでもないし、それだって大したレベルには到達していないんだけど、それでも自分が学んだことにはそれなりの愛着と誇りを持ってしまっている。これは僕にとっての武器であり自分の一部だ。それを無駄にしないような生き方をしたいと思う。