仮想私事の原理式

この世はワタクシゴトのからみ合い

「ありがとう」と言うこと



 最近、ちと思ってたこと。Zの癇癪カミーユが「ありがとう」というのを聞いてさらに思ったこと。


 見ず知らずの人に、なにかちょっとした親切をしてもらったとき、つい「すみません」と言ってしまう。これ、他の人でも結構いるんじゃないだろうか?

 もちろん、この「すみません」によって、相手の手間に対して「わざわざ手を煩わせてしまって、申し訳ない」という謝罪(?)とともに、感謝の意味も表している(つもり)。

 だから「すみません」でも構わないとは思うのだが、なんで「ありがとう」と言わないのだろうと、ちらっと思うことがあった。「ありがとう」を言わないわけではないが、すぐ口をついて出てくるのは「すみません」の方だ。これ、何故なんだろう。

多分「ありがとう」と言うのは、自分にとって少々照れくさい言葉なのだろうという気がする。「ありがとう」は率直に感謝を表現する言葉だ。自分のように、少々ひねた人間は、こういう率直な感謝を言うことに抵抗を感じるのかもしれない。言うときには、若干の思い切りを要する自分がいる。つまり「すみません」という謝罪の言葉よりも、「ありがとう」という感謝の言葉の方が、相手を立てる位置(自分に対して相対的な)が高いのだ。「ありがとう」は、それだけ自分を弱い立場に落とす言葉だ、と感じてしまっている。
 なんというか、「ありがとう」と言わない(言ってるけど頻繁には言わない)ところに、自分の卑屈さとか劣等感みたいなのを少し感じる。「すみません」と言うのが悪いわけではないし、結局は、これが僕という人間の心質なんだろう。それが表に現れているだけの話で、自分の心質を否定するつもりは毛頭無い(「心質」…いい言葉だったので「3分間日記」からぱくっちゃった)。ただ、「ありがとう」という良い言葉を、もう少し言えるようになったら、自分の中に少し足りない心質成分が生まれてくるかなぁと、そんな風に思う。すくなくとも、自分を低きに置くことを厭わない精神的な強さは得られそうだ。

 もしかしたら、そういうのを「言葉の重み」とか言うのかもしれないし、軽々しく「ありがとう」を言わないことで「ありがとう」の価値が上がるのかもしれないが、どうせ「すみません」とか言っちゃってるんだから、それだったら「ありがとう」とも言ったっていいだろう。

今日から、「ありがとう」を使うようにする。

人から親切にしてもらったら「ありがとう」
人が自分の為に苦労をしてくれたら「すみません」と「ありがとう」
幼稚園児レベルの、当たり前のことだけどね。

人の足を踏んで「痛!」「ありがとう!」
いや、それは違うって。

…ん?
でもそういえば中国語で「ありがとう」は「謝謝」で、「謝る」って字を使ってんのね…。つーか「感謝」「多謝」も謝を使ってるか…。
 
#アクセス数がようやっと1000を超えた。
 みんな、ありがとう。
 でも20分の一くらいは自分…。